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Setithy Sowis

適応のリーダーシップについて扱います

ロナルド・ハイフェッツ教授のリーダーシップ論 [1/2]

 

 ロナルド・ハイフェッツ教授は、ハーバード大学ケネディスクールで30年に渡り、適応のリーダーシップについて教え続けて来た。そして今回ワークショップが公開され、NHKでリーダーシップ白熱教室として放送された。
 適応のリーダーシップの概要は、人々を問題と正面から向き合わせる。唯それだけだ。とは言え、最後まで読めば分かると思うが、これは困難な仕事である。
 私は、人が生きるのは、明日が今日より良くなる、今日の幸せがずっと続くと信じているからだと思っている。だがそれには、社会問題という乗り越えなくてはならない壁が存在する。世の中には、難しい事は偉い人に任せておいて、一般の人はただ文句を言っているだけでいいと言う人は大勢いる。しかしハイフェッツ教授は、そんな風には考えないし、私も同感だ。
 実際にリーダーシップを発揮しなくても構わない。適応のリーダーシップを理解する事は、自主的に問題と向き合う事に繋がり、それがより良い未来をつくる一つの方法だと、そう思う。

 

リーダーシップとは何か

 過去のリーダーシップ論では、リーダーシップは生まれながらに、その素質を持つとされるリーダーシップ特性論が優勢だった。リーダーシップ特性論の考え方では、リーダーシップは後天的に学習するものではないとされる。しかし様々な研究の結果、全ての優れたリーダーに見られる共通の特性と呼べるものは、存在しない事が分かった。そしてこの数十年で、リーダーシップに対する人々の認識は大きく変わった。それはリーダーシップは学習により身に付ける事が出来る、と多くの人が考えるようになった事だ。現在では多数の様々な組織が、リーダーシップとその実践について教えている。
 ではなぜ、リーダーシップが個人の特質によると考えられて来たのか。現在そのように認識されない理由は何だろうか。リーダーシップとは何か。それを明らかにするには、私達がリーダーやリーダーシップについてどう認識しているのか、その性質について理解しなければならない。

権威の象徴としてのリーダー

 ロナルド・ハイフェッツ教授は野生の動物を観察する事で、彼等の群れのリーダーと、それ以外の者の間で、権威が機能している事に気付いた。社会的な動物であるゴリラの群れでは、最も経験豊富な年長者がリーダーを務める。リーダーは群れを食糧の豊富な場所へと導き、危険が迫る際は、他のゴリラへ適切な指示を出す。これらの行動を実行するために、リーダーは群のゴリラ達から強い権限の委譲を受けている。
 権限の委譲は人間社会でも普遍的に見られる行為で、専門家は医療、福祉、教育、理容美容、自動車整備、通信等をサービスという形で提供する。利用者はサービスを受ける為に、自分の持つ権限の一部を委譲する。権限を委譲する性質上、サービスを遂行する能力についての信用が不可欠だ。
 権威は方針、保護、秩序の3つのサービスから成る。方針は、人々がより大きな利益を得られるように導く事。保護は組織外からの脅威を取り除く事。秩序は規律を維持し、組織内の諍いや混乱を鎮める事を意味する。これらのサービスを提供するには身体能力、精神力、技術面などで優れた素質を備えていなければならない。
 そして人々は、他の人より優れた能力を正しく利用する人へ権限を付与し、リーダーとする。つまり権威を得るには一定の基準やプロセスがあり、その素質は個人にあると言える。権威に関して有利に働くものには他にも性別、知識、カリスマ性、伝統的正統性など、文化によって様々な要素が存在する。
 以上の事からリーダーと権威の間には密接な関係があり、リーダーは権威の象徴として定義できる。
 
リーダーとリーダーシップを混同する誤り

 リーダーシップを個人の特質だと考えるのには、それなりの理由がある。私達は、高い地位の人や立場が上の者ほど、率先して問題に取り組む責任を持つと考える傾向がある。そして解決に成功した時、それをリーダーシップと呼び、賞賛する。権威を持つリーダーが、いつも正しくリーダーシップを発揮するならば、リーダーシップに求められるものは、権威を得るための、個人の特質と同一と言えるかもしれない。だが彼等は、必ずしもリーダーシップを発揮するとは限らない。より踏み込んで言及すると、歴史上の偉大な指導者とされる人物は、正しくリーダーシップを発揮した以上に、大きな過ちを犯していると教授は捉えている。
 イギリスで最も偉大な指導者とされるウィンストン・チャーチルは、だがしかし第二次世界大戦が無ければ、最悪の指導者と評された可能性もある。チャーチル第一次世界大戦において多大な犠牲者を出たが、第二次世界大戦では勝利を、その後は大英帝国を無理に維持しようとし、失敗した。彼はリーダーシップを発揮したと言えるだろうか、あるいはリーダーシップの発揮に失敗したのだろうか。

リーダーシップをどう評価するか

 教授には精神科医としての経歴があり、その経験から、仕事を分析単位として評価する事で、この課題を解決した。患者が医師に期待するのは、怪我や病気に応じた適切な処置を受ける事、つまり医療的な問題の解決である。同様の考え方をリーダーシップに適用した場合、その評価は集団の問題に対してどの程度、進展をもたらしたかとなる。先程のチャーチルを例に出して考えると、彼の行動や実績を問題ごとに分析し、軍事面に関してはリーダーシップを発揮したが、その他の点に関しては発揮しなかったと評価する。そして彼のリーダーシップの評価と、彼の人物、リーダーとしての総合的な評価は分けて考え、人物としての評価は個人の判断、あるいは歴史の分野に委ねるとした。

リーダーシップは実践する事

 リーダーシップの評価が問題の進展ならば、その行動は、問題を解決するために立ち向かい、より多くの人を動かす事である。そして行動そのもの、実践する事こそがリーダーシップである。
 しかし、全ての問題に適用できる共通のやり方というものは、残念ながら存在しない。リーダーシップを発揮する機会は家族や友人、職場から、地域から世界規模まである。そこで求められるリーダーシップも、置かれる立場や、解決したいと願う問題の大きさ、種類によって様々だ。だからここでは、リーダーシップの考え方について教えて行く。

混乱、不均衡、不安定な状態に耐える力

 教授は生徒達の間でリーダーシップについて話し合うよう求め、自身は沈黙を守ることで、敢えて無秩序な状態を作り出した。ものの数秒もしないうちにデビッドという男性が口を開いたのだが、教授はそれは偶然ではないと説明する。
 彼には軍隊に所属した経歴がある。軍が持つ機能の一つは秩序を取り戻す事であり、デビッドは教授が意図的に作り出したリーダー不在の講義室という不安定な状態から、教授に代わり皆の注目を集める事で、秩序を回復しようとしたのである。これは彼の習慣からの行動であり、デビッドが真のリーダーシップを身に付けるためには、無秩序で不安定な状況に耐える事を学ぶ必要がある。
 リーダーシップは目的に沿って変化を起こす行動で、不安定な状況は避けられない。一時的に悪くなるかもしれない。リーダーシップを発揮する人には、そのような状況を耐え抜く強さが求められる。

事実や問題を正しく認識する

 リーダーシップで失敗する原因の一つは、分析に時間を掛けず、すぐ分かる解決策に飛び付いてしまう事にある。難しい問題は、様々な事情が複雑に絡み合い、狭い範囲から広い範囲まで、色々な見方がある。狭い範囲の解決はそれほど難しくない。しかし、それで望ましい結果を得られるとは限らない。
 教授が過去に教えた生徒の中には、後に反体制派の指導者となった人物がいた。彼は国が抱える問題を解決しようと、反逆という行為に出た。それは成功に終わったが、程なくして彼は政権の座から追放されてしまった。彼は問題の原因は王朝支配の体制にあると考え、反逆行為を実行した。しかし、それは誤りだ。実際の原因はもっと根深い所にあったが、彼はそれに気付く事が出来なかった。
 問題を正しく認識し、診断するのは最も難しい課題である。大局的な見地から見ようとする努力を忘れてはならない。

金槌しか無ければ、全ての問題は釘で解決できるように見える

 人は問題に直面した時、政治学者なら政治の問題、経済学者なら経済の問題という風に、自らの能力の間に合う範囲で問題を捉えがちである。何故なら人は、手に余る問題を解決しようとする時、成長のための努力を余儀なくされるからだ。さらに、その間ずっと無力さを感じ続けなければならない。
 これは各分野の代表者や、利害関係にある者全員の意見を聞く事で解決できる。仮に一部の人の意見を採り入れずに解決策を提示すると、問題の診断から間違い、その解決策は完全なものとはならない。欠けた視点があるにしても、それを自覚する必要がある。

技術的な問題と適応が必要なチャレンジ

 心臓手術は驚くべき人類の進歩の一つだ。一時的に心臓の動きを止め、処置を施し、再び心臓を動かす。手術を行うのは医師だが、次は患者が食生活を見直し、運動をしなければならない。あるいは、煙草やお酒をやめなければならない。この問題の根本的な原因は、患者のライフスタイルにあるからだ。だが心臓の手術が必要になるような生活をしている人にとってそれは、命の危機に瀕して、なお難しい課題なのである。幼い頃から馴れ親しんだ食べ物、習慣からは気楽さや安心を得られるが、それらは努力や生活の質の向上とは反対の性質だ。アメリカで手術を受けた患者の内、実際に生活を改善するのは、たったの20%というデータがあるそうだ。
 さて、話をリーダーシップに戻そう。全ての問題は、分析する事で2種類に分けられる。既に解決策が見つかっていて、専門家の力で技術的に解決できる問題と、まだ解決策が見つかっていない問題だ。教授は後者を、適応が必要なチャレンジと呼んだ。割合は問題によって様々だ。10%が技術的な問題で、90%が適応の問題もあれば、100%技術的な問題もあるが、必ずどちらかに分類できる。
 技術的な問題の最大の特徴は、他の似たケースの解決策がそのまま適用できる点だ。権威ある立場の者は、既知の問題に対処する方法をよく知っている。そのため技術的な問題には、権威を持つ人がリーダーシップを発揮するのが望ましい。
 技術的な解決策は、問題にもよるが、その一部分しか解決しない事がある。心臓手術の例では、手術が技術的な解決策である。その後のライフスタイルを変える部分には、本人の適応力が求められている。適応の問題でも過去に似たような例があれば、その時の解決策やガイドラインを適用するだけでも、ある程度までは成果が上がる場合もある。しかし100%にはならない。個々のレベルの問題には、個々の対応が必要だからだ。そこには正しいやり方や、決まった解答は無い。

問題を切り分ける際の注意点

 企業から診断を依頼されたコンサルタントが犯しがちな間違いの一つに、問題を分析する過程で、人の要素を取り除いてしまうというものがある。問題がグラフや数字等の誰が見ても分かりやすい形で表され、その解決策は、事業や組織構造を再編することで、人々を無駄なく働かせるという技術的なものになる。しかし、本当の原因が、社内の文化や働く人のスキル不足にある場合、適応が必要な問題から目を逸らさせてしまう。
 技術的な問題と適応が必要なチャレンジは、分析によって簡単にすり替わってしまう。それを理解した上で、どこまでが技術的な問題で、どこからが適応の問題か、正しく見極めなければならない。

適応が必要な2つの状況

 マーティン・ルーサー・キング公民権の成立に多大な貢献をした人物で、彼は暴力には頼らず、話し合いで事態を良い方向へと導いた。アメリカ独立宣言では、全ての人は平等であるべきだとされたが、当時のアメリカには白人、有色人種間の差別が公然と残っていた。キング牧師I Have a Dream の一節を含むスピーチで、共通の価値観を訴えた。私には夢がある。それはアメリカンドリームに根ざした夢だと彼は言った。自分達は共に、差別は不正義であると信じていて、現実はそれに反していると訴えたのである。
 この願望や価値観と現実とのギャップ、正しいと感じる行動と実際の行動の矛盾こそが適応の求められる問題で、キング牧師は状況を価値観に沿うように変革する事で、リーダーシップを発揮したと見る事が出来る。
 一方で、人々が状況に適応しなければならない場合もある。末期癌等の難病を例に挙げよう。医学は大きく進歩したが、それでも全ての病気を治療するには至らない。そのような病気に罹った患者は、その現実を受け容れなければならない。医師は患者のために環境を整えたり、状況と向き合う手助けは出来るが、最終的には患者本人が、考え方や価値観を変えて行く必要がある。同時に、このような厳しい状況は、その奥に隠された、新たな問題を明らかにするという観点からは、一つの条件であるとも見做せる。患者や家族は病気と向き合う中で、残された時間の過ごし方、家族の今後、仕事の事、経済的な状況など数々の問題に直面するだろう。これら種々の問題を乗り越え、新たな生活に向けて適応する準備をしていかなければならない。

実行と診断のサイクル

 ここで一度リーダーシップの実践についてまとめよう。最初に十分な時間をかけて問題を分析、特定する。そこから計画を立て、行動を起こす。すると状況に変化が起こる。時には突然思いもよらない事態に陥ったりするかもしれない。その状況をさらに分析する事で、問題への理解を深め、次の計画に反映させる。
 リーダーシップの実践は、自分の行動がどのような変化を起こすかを予想しながら、行動を積み重ねて行き、中長期的な状況の変化を目指す事にある。そのためリーダーシップを発揮するには、未来を見渡そうとする姿勢が必要だ。それほど遠い未来でなくても構わない。それは現在から予想される未来というよりも、こうあって欲しいと望む形や将来のビジョンである。

権威の有無によるリーダーシップの変化

 キング牧師には公式の権威と呼べるようなものは殆ど無かった。しかし、彼が持つモラルの権威は、それより遥かに大きかった。制度に基く権威を公式の権威とするならば、その権威は非公式の権威である。キング牧師には、彼の非公式の権威を支えるフォロワーと呼べる支持者が大勢いた。
 だが、彼がリードしたのはそれより広い範囲に渡る人達で、彼の意見に何の注意も払わない、若しくは敵視する人達に対してだった。キング牧師には人権を広める自由があり、人々を説得することでリーダーシップを発揮した。一方で、大統領には有権者全員の意見を公平に聞く義務がある。そうでないと権威や、それに基く大統領という地位を失ってしまう。一つの事だけに掛かりきりになる事も出来ない。そのため、キング牧師にあった自由が、大統領には無かった。
 権威は事態を変える為の有効な手段を提供するが、同時に束縛にもなり得る。立場によって発揮できるリーダーシップは違うという事を理解しなければならない。

公式の権威、非公式の権威

 非公式の権威の源泉は、良い方へ導く事である。それは人々が持つ、自分達の期待に応えてくれるという予測であり、信頼そのものと言ってよいかもしれない。立場によって期待される内容は異なり、それが発揮できるリーダーシップの違いへと結び付く。
 制度上の権威を持たないリーダーへの期待は、事態を支持者達が望む方へ導く事であり、非公式の権威は行動する事で与えられる。その非公式の権威を正しい方向へ利用する事で、さらに大きな権威と成果を得る循環が構築できる。
 公式の権威もその礎にあるのは、非公式の権威である。こちらに期待されるのは方針を立て、内外の問題から組織を守り、秩序をもたらす事である。例え権威ある立場にあっても、極度に信頼を失えば公式の権威も失うことになる。

適応力が求められる問題に対する権威の束縛

 あるアメリカ合衆国大統領の在任時、麻薬問題はアメリカ最大の懸案だった。大統領が国民へ向けてのスピーチを控えた状況で、ホワイトハウスでは2つの意見が挙がっていた。麻薬問題の解決には国民一人一人の適応が必要だ。しかし、国民に向けてどう話すべきだろうか。

大統領は次のように演説した。
"我々は薬物との戦いに挑み、勝利しなければなりません。政府はこの問題に、今年度だけで90億ドルの予算を割きます。麻薬の供給を絶つため、数十億ドルを費やし、密造者や密売人と戦います。加えて、予防と教育にも予算を割きます。私達は必ず麻薬との戦いに勝利します。"

もう一つの案も見てみよう。
"麻薬問題の解決には皆さんの意志が重要です。勿論、政府も出来る限りの協力をします。密造者や密売人を摘発し、人々が違法な経済活動に流れないよう、雇用問題に力を入れます。薬物乱用の危険性について教育を行い、ストレスを抱えた人達のケアにも力を入れます。しかし最終的に、これは国民の責務です。"

 どちらがより多くの支持を得られるだろうか。大多数の国民は様々な問題に対し、政府が専門的な知識で解決してくれる事を望んでいる。政府が解決できる問題は多いが、中には専門的な解決策など無い問題も存在する。その場合、問題解決には国民の適応力が求められる。ここに権威を持つ人間が、人々を導くのに失敗する理由がある。国民が解決策を求める中で、私には問題を解決する事は出来ないと宣言する事は、政治的に危険だ。そのためリーダーは、存在しない解決策を提示しなければならない、という強いプレッシャーに晒される事になる。

権威は人々の意識の反映

 権威ある立場の人の言葉や行動は、人々の意見を代表したものである。完全には一致しないものの、それが原則だ。適応を要する問題には、権威ある立場を利用し、法律などで一方的な解決策を押し付けても、上手く行かない。例えその解決策が妥当なものであったとしても、支持者はストレスの原因を、問題ではなく権威を持つ人自身に見出し、信頼を失ってしまうからだ。

権威ある立場からのリーダーシップ

 人々が現実と向き合うのには大抵の場合、苦痛が伴う。あまりにも大き過ぎる苦痛を前に、人々は問題を遠ざけてしまう。権威は環境をコントロールすることで、無理のない範囲内で、段階的に少しずつ問題と向き合わせる事が可能だ。一度にどれだけの変化を迫れるかは、人々が権威ある立場の人に、どれだけの信頼を寄せているかに依るところが大きい。人々が抱え切れない部分については、その時だけあえて正面から向き合わせないという選択肢も出て来る。
 人々の反応を確認しながら、最終的に問題と正面から向き合える環境を整える。それが権威ある立場から発揮できるリーダーシップだ。これらは公式の権威が、権限の委譲を受けているため可能な事だと言える。

間違った方向へ導くリーダー

 患者が治療困難な病気に直面した時、医師として正しい行動は、患者が現実と向き合えるよう手伝う事である。しかし、医師に正しい事をするという価値観が無ければ、自分に出来る事は何も無いと突き放すか、病気の進行を送らせる事にだけ協力する。あるいは、あたかも治る病気であると装い、法外な治療費を要求する可能性もある。
 権威ある立場におかれた人もまた、間違った方向へ人々を導く事がある。それは適応の必要な問題に対し、技術的な処置を施すことで均衡を取り戻したり、人々の目を他の問題へ向けさせるといった具合で行われる。戦争は、その具体的な一例だ。国内の問題から目を逸らさせる為に、国外に原因を求める。これらは人々からのプレッシャーに屈し、問題から回避しようとする行為で、一種のミスリードと言える。一時的には気にならなくなるが、問題の根本的な部分は解決していない。恐らく後になって同じように、場合によっては悪い形になって、再び問題が持ち上がるだろう。時には重大な問題のために、いくつかの問題の先送りは必要な事かもしれない。しかしその事を含め、リーダーシップには正しい事をするという価値観が必要だ。

カリスマ的支配は失敗する

 先ず、カリスマ性というものは支配の一系統であり、リーダーシップではなく、権威を得るための一つの要素だと認識して欲しい。誰も専門的な解決策を持たない中で、人々が望む結果を約束する人にはカリスマ性があるように見える。歴史的に見て、そのような状況では独裁者の台頭を許してしまう。
 民主制での権威は束縛される。独裁制ならば、そのような制限とは無関係でいられると思えそうだが、実際はそう上手くは行かない。独裁制では、始めの内は変化を容易にもたらす様に見える。だが当然、根本的な解決策は存在しない。そのうち手に負えない問題に直面し、民主制と同じ状況に陥ってしまう。