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Setithy Sowis

適応のリーダーシップについて扱います

ロナルド・ハイフェッツ教授のリーダーシップ論 [2/2]

 

適応とリーダーシップの役割

 世界は過去現在未来へと、常に変化し続けている。その変化の先にある未来で成功するための、新たな可能性を受け容れる。それが適応するという事でもある。適応の大部分は歴史と折り合う事にある。過去から積み上げてきた文化の殆どは、失われず保たれるからだ。変革は文化に受け継がれるマイナスの一部分だけを捨て、歴史の最良の部分だけを未来へ持って行く。リーダーシップはそのために問題を提起し、データを示すことで、進むべき未来を見せる。そして、その過程における変化の枠組みや、プロセスを提供し、スムーズに移行できるよう支え続ける事である。
 リーダーシップの最終的な目的は、誰が何を学ぶ必要があるかという形で明確になる。それまでの道程では大勢の人の話を聞いてから、誰に話を持って行き、誰と信頼関係を結ぶか、障害は何か、何が必要になるのか、誰からどのような協力を得られるか、よく考えなければならない。

 

1%の変革が世界を変える

 ロナルド・ハイフェッツ教授のリーダーシップ論は、生物学の概念を発展させた理論である。人類とチンパンジーには大きな違いがある。人類はその創造力で文明を発達させてきた。しかし両者は同じ祖先を持ち、そこから進化してきた。生物としての枠組みで見ると、どちらも同じ様に食事や睡眠を必要とするという点で、殆ど変わらないとも言える。両者の遺伝子には、1%の違いしかない。たった1%が人類とチンパンジー程の大きな差になる。組織にも同じ事が言える。大きな変化というのは実は保守的で、変化するのは全体から見れば一部分に過ぎず、その他の文化や価値観の殆どは変わらない。
 アメリカは独立戦争で革命を起こして、新たな一つの国家として成立したが、その文化はイギリスの遺伝子を受け継いでいる。それぞれの国の言語、宗教、政治、経済等を一つずつ比較してみると、変わらなかった物の方が多い事が分かる。南アメリカ、ロシア、中国、どの国の革命を見ても、文化の総量は変わらない。

変化の枠組みを示す

 人々は変化を恐れる、と一度は耳にした経験があると思う。だがポジティブな変化となれば話は別だ。宝くじに当たっても交換しないという人はいない。変化を拒否するのは、失うものがあるからだと言える。
 変化で何かを失うが、それがどれ程のものかさえ分からないという状況では、人々は現状の一切を保全しようとする。そこで、最初にどのような範囲で変化が必要なのか、枠組みを示し、相手にそれを十分に理解して貰う。そこで初めて失われるもの、新しく得るものについて考える余地が生まれる。相手が失うものを示すには、その文化や価値観についての十分な理解が必要になる。

変化で失うものを正しく理解し、説得する

 ネパールから来た女性、サプナは女性の権利活動を行う中で、男性からの激しい抵抗にあった。それはサプナにとって予想もしない出来事で、女性の妊娠中絶を例に、男性には失うものなど無いはずだと主張した。しかし教授は、ネパールの男性には恐らく失うものがあるのだと指摘する。
 人は成長する過程で、愛情と物事のやり方や考え方、価値観とを一つのものとして受け取る。例えばある人の大好きなお祖父ちゃんが、子供を産むのは女性だからといって、産まれて来る子の命を奪う権利は無い、と言っていたとする。その人に妊娠中絶を認めろと言う事は、大好きなお祖父ちゃんの言った事は間違っていると認めろ、と言うのと同じ事だ。その人はお祖父ちゃんの教えに背かなくてはならない。それは認識上のものだが、大きな損失だ。
 だからサプナがしなければならない事は、反対する人達を、望まない妊娠で不幸になる女性がいる現実と向き合わせ、変革で得るものがある事を理解させる。そしてそのために、価値観の一部を捨てる事を、納得して貰う事だ。
 だが問題を小さく見せてはならない。もしも一時的に状況を変え仰せたとしても、相手の価値観に沿わなければ、何世代か後には元に戻ってしまうだろう。制度と実態が乖離したまま、定着してしまうという事も考えられる。

周囲の人から説得する

 南スーダンではハンセン病患者への偏見が根強く残っている。ハンセン病は遺伝する病気だという間違った認識で、社会から締め出し、患者を一つの地域に隔離する。身内にハンセン病患者がいることが分かると、結婚できなくなるからだ。ハンセン病末梢神経系感染症で、感染力は弱く、完治した患者から感染する事はない。有効な治療が受けられなければ、外見に顕著な後遺症が残るため、かつては多くの国で差別の対象であった。
 南スーダンからワークショップへ参加したワコールは、正しい知識を広め、患者が隔離されている現状を変える支援組織を作る事を家族に相談した。しかし家族から、そんな事をすればワコールの妻の家族は別れるよう言ってくる、と強く反対され断念した。
 ワコールはまだ疑問を投げ掛けたに過ぎない。もしワコールが本当にハンセン病の啓蒙活動を行うなら、それは可能だが、少なくとも20年は掛かるかもしれない。そしてそれには詳細な戦略が必要になる。
 最初は身内、特に妻を説得する事から始めるべきだ。ワコールがハンセン病について話を持ち出すと、家族は彼に議論を止めるように、プレッシャーをかけて来るだろう。ワコールだけが孤立して攻撃を受ける時、最も簡単に平穏を取り戻す方法は、彼を無視して議論を終わらせる事だ。それを防ぐ為には、親族の中に味方を見つけて、親族間での議論になるようにしなければならない。家族が新たな価値観を受け入れるまでは、家庭内に亀裂が入り、不安定な状態に陥るのは恐らく避けられない。リーダーシップは新しい考え方が定着するまでの混乱する時期に、寄り添い、支え続ける事でもある。
 人々を説得するのには色々なやり方がある。誰にいつどのように話すかを、よく考えなければならない。ワコールが、ハンセン病は細菌の感染症の病気だと言っても無駄だ。科学で証明されていると言っても、人々はそれを信じない。誰の言う事なら信じるだろうか。西洋人の医師、宗教の司祭、目上の人や権威ある人の言う事なら信じるかもしれない。新聞の切り抜きを見せる事で信じる人もいるだろう。
 家族を説得するのは、より広い範囲の人々を説得するモデルケースになる。それだけでなく、変化に抵抗する人々は、ワコールと家族にも圧力をかける事が予想されるが、それに耐える準備をする余裕が持てる。

リーダーシップがリーダーシップをつくる

 リーダーシップは付いてくる人を作るのではない。もしサプナがネパールの人達に対して、どのようにすべきか全て知っているように振る舞い、サプナ自身に従うよう求めれば、サプナは死んで終わる可能性が高い。文字通り、死んで終わりだ。きっと暗殺されてしまう。その文化の規範に対して、正面切って戦いを挑むのはあまりにも危険が大き過ぎる。それだけでなく、一人の人間に依存し過ぎていると、その人が消えた途端に、運動も立ち消えてしまうリスクがある。
 だからこの場合のリーダーシップは、自分と異なるコミュニティに属する人達と一緒に、協力して事にあたるようにする事だ。そうする事で、複数の観点から問題を捉え、より深い分析を行える。同時にその人達には、自分の背後の人達にリーダーシップを発揮して貰い、それがまた別の人達に連鎖していく。変革が上手く行くケースでは、大勢の人達が様々な場所や立場でリーダーシップを発揮するような状態になる。
 この時、権威を利用できれば、協力してくれるメンバーを圧力から守る盾になる。

バルコニーに上がる

 イデオロギーで凝り固まった人や、従来の価値観や習慣を固持しようとする人達を説得するには、どのようにするのが良い方法だろうか。
 レバノンシーア派ではヒズボラが支配的な勢力である。彼らは、いつかイスラエルが攻撃を仕掛けて来ると信じ切っており、それを根拠に武装をしている。彼らを現実に向き合わせるのに最も解りやすい方法は、彼らが政治的、軍事的に敗北する事かもしれない。強いプレッシャーのかかった状況下では、内面の自己欺瞞や自己矛盾と向き合わざるを得ない。そういう意味では、彼らの敗北は有効とも言えるが、それは現在の状況を解決するための、さらに極端な状況だと言わざるを得ない。彼らの敗北は他のグループにとっては、また別の意味を持つ。そのような状況で、果たして一つの国家に纏まれるだろうか。
 その前にコミュニティ全体を見渡し、鍵となるグループを特定する事で、新たな道が開けるかもしれない。コミュニティ同士には、相互作用的で複雑な力学が働く。それを俯瞰して観察する事で、個人の立場からは見えない事実が明らかになる。教授は個人の視点をダンスフロアと位置付けて、その対比でバルコニーに上がると呼んでいる。
 バルコニーに上がるには、なるべく多くの人の話を聞かなくてはならない。バルコニーから見た現在のコミュニティの在り方と、こうあって欲しいと望む将来を明確にすることで、その間を繋ぐ目的、誰が何を学ばなくてはならないか、そしてそのために必要な行動が理解できるようになる。

相手の価値観を受け容れる事で事態を進展させる

 アメリカでは銃の規制賛成派と反対派が互いに意見を譲らず、事態が硬直化している。このような状況から進展をもたらすには、まず反対派の人達が、どのような価値観に従って反対しているのかを理解する必要がある。もしかすると、それは捨てる必要の無い価値観かもしれない。
 規制が議論される際、反対派は銃を持つ権利について主張するが、それは本質的な部分ではない。教授はアイスクリームを見ると、父と過ごした楽しかった時間を思い出すと言うが、ある人にとっては、狩りがアイスクリームにあたるのかもしれない。銃を持つという事は、一人前の大人として認められる事でもある。父は一緒に行った狩りの中で、銃の扱いと共に、責任ある人間になりなさいと愛情を込めて教えてくれた。その人から銃を取り上げるのは、父と行った楽しかった狩りの思い出を取り上げる事でもある。
 この場合では、規制派からの要求を一部妥協する事によって、思い出はそのままに、事態の進展が期待できる。例えば、狩猟用の銃のみを許可制で持てるように、規制にも制限を加える。そうすれば規制の枠組みを保ちながら、例外を設ける事が出来る。
 リーダーシップは自分の考えを押し付ける傲慢な人になることではない。人々の価値観と現実との矛盾を解決し、より良い未来を実現する事である。

十分な時間をかける

 どこの国でも官僚と呼ばれる人達は、改革の嵐をじっと待ってやり過ごすのが上手い。彼らは政治家がいずれは変わる事を知っているからだ。組織や文化に新たな価値観、行動様式を根付かせるのには、思った以上に時間がかかる。そのため、徐々にゆっくりと進めるのが望ましい。
 しかし、リーダーシップを発揮する人がゆっくりではいけない。適応が必要な問題には正解が無い。誰もやったことのない事を試し、突然の事態にも早急に対応する必要がある。リーダーシップは即興の芸術であるとも言える。

仕事のペースを考える

 社会が抱える問題は軋轢を生み、緊張感をもたらす。しかしその緊張感が低すぎると、人々は気にも留めず、高すぎると一時的な解決策で、逆に下げ過ぎてしまう。そのためリーダーシップにはペースを考えて行動する事が含まれる。
 適度な緊張感は、問題について議論する余地を残しつつ、問題から発生した軋轢へと、多くの人の注目を集める。但し、その時の不均衡は、生産的な範囲に収まるようにしなければならない。苛立ちや戸惑いはリーダーシップにとっては前進だが、行き過ぎた軋轢は、脅しや暴力となって表れる。
 公式の権威を持たない場合、注意しなければならない点がいくつかある。公式の権威はある程度、自由に緊張感を緩和する手段を持つが、権威を持たない人には、それにあたるものがない事だ。そのため権威を持たない人は、行動を起こす事と、時間を置いて、自然に緊張感が下がって行くのを待つ事でしか、緊張感の調整が出来ない。
 そして不均衡の原因が自分自身にあると考えられ、権威ある立場の人から、責任の追求を受ける可能性がある。ガンジーマーティン・ルーサー・キングは、その活動の中で投獄された過去を持つ。緊張感を高める活動には、危険が伴う事を覚えておいて欲しい。

注目を集める

 世の中には考える事がたくさんある。自分の事、家族の事や社会の事。しかし、重要な問題について真剣に考えるには、それだけに集中して貰わなければならない。
 権威ある立場の人が、人々の注目を集めるのは比較的容易だ。権威には指し示した方向に、人々を注目させる性質がある。しかし、公式の権威を持たない人が注目を集めるのは、簡単な事では無い。最もやりやすい方法は、自分自身を注目の対象にする事である。しかし、それにはリスクが伴う。それは個人攻撃を受けやすくなる事と、その人さえいなくなれば、問題は解決すると見做される可能性がある。つまり、注目の対象と問題の原因を、同一視されてしまう事である。可能な限り、十分な権威を持つ協力者を得るか、安全な方法を探し出しておきたい。

異なる文化でリーダーシップを発揮する

 もし、異なる文化においてリーダーシップを発揮しようとする場合は、長い時間をかけて、その文化や価値観を理解しなければならない。その文化にとって、重要なものとそうでないもの、誰に権威があって、自分の置かれた立場の権威はどの程度か、或いは権威そのものが無い地域なのか、十分に理解しなければならない。その上で捨てなければならないもの、未来へ持って行くものを判断する必要がある。
 IMFはアフリカの会計システムを、西洋基準に変えさせようと、200億ドル以上を注ぎ込んできた。だがそれで変わったのは、たったの一ヶ国だけだ。その国では誰かが10年に渡って住み、努力し続けた。他の多くの国では、世界銀行に見せる帳簿と、旧来の自分達が実際に使う帳簿を別々に作ってやり過ごした。

適応の問題を回避する人々の反応

 私達は多かれ少なかれ、社会的な問題を抱えているが、その現実を直視したがらない。そこで問題を回避するため、あらゆる方法がなされる。
 人々は問題を認識する際、往々にして、自分より権威ある地位の人、問題とは無関係な人に責任を押し付けて、都合の良いように解釈してしまう。
 いくつかの国ではトップが次々と変わる。まるで問題は指導者にあり、正しい人さえ選べば、問題は解決すると信じるように。また、ギリシャが経済危機に陥った際、国民は移民を追放する事で、解決する問題だと考えたが、それは単にスケープゴートを作り上げただけだ。実際の原因は、村は地方に、地方は国に依存するギリシャの文化にあり、このような状況では、大きな経済的発展は見込めない。
 他には特定の問題から目を逸らすために、他の問題に注意を向けるといった行為。もしくは無視や先送りが挙げられる。
 これらの回避行動は殆どの場合、現在のストレスレベルに応じて、無意識下で条件反射的に行われる。この反応を観察する事で、人々が問題に向き合う準備が、どの程度整っているのかを知ることが出来る。

人々に対する忠誠心

 適応を求められる人だけでなく、リーダーシップを発揮する者にとっても、向き合わなければならない事がある。
 キーシャーはインド系の男性で、ニューオーリンズで医療に従事した過去を持つ。彼がいた当時のニューオーリンズでは、黒人達の間で暴力が蔓延し、その背景では教育が大きな社会問題となっていた。キーシャーはその状況を変革しようと努力したが、技術的な問題の解決、医師としての働きしか出来なかった。彼はその原因を、救急病院が一ヶ所しかなく、運ばれて来る急患の対応で手一杯だったからだと語った。加えて、ニューオーリンズは黒人と白人が大半を占めており、それ以外の人種である自分では、人々の信頼や協力を得る事が出来なかった事も一因であると付け加えた。
 だが、それは本質的な問題点ではない。キーシャーは仕事のない時や休日を利用して、宗教施設や治療した患者の家へ行き、話を聞く事が出来た筈だ。しかし彼は、それは現地の警察すら近寄らない地域へ行く危険な行為で、不可能だったと言う。
 リーダーシップを発揮する為には、誰も知らない場所を訪れたり、誰も経験していない事に挑戦しなければならない。勿論、危険は避けられない。そのため、リーダーシップを発揮しようとする人は、忠誠を尽くす相手と向き合わなければならない。
 職場という共同体、家族や友人、自分の祖先の3つである。自分の祖先について考える事は、自分の心を覗き込む事でもある。キーシャーは周囲の人達から、以前からある問題に、首を突っ込むなと反対された。だから彼が最初にすべきは、周囲の人達を説得する事だったのかもしれない。しかし彼は問題を解決したいと思う反面、心のどこかで拒絶していたのだと思われる。
 リーダーシップには厳しい道程が待っている。必ず一度は絶望的な状況に陥るだろう。危険を伴う事もある。それでも挑戦するのは、大切に想う人達のためだ。子供を愛しているから教育問題が気になる。愛する人の健康が気になるから、健康に悪い事が気になる。何であれ、心を動かされる事でなければ無理だ。あなたが支払う覚悟のあるコストについて、良く考えて欲しい。

攻撃されるのは自分の立場や行動

 リーダーシップを発揮するにあたっては、辛い思いをする事になるかもしれない。変化に抵抗する人の中には、攻撃に出る人達もいる。無視をする事で孤立させる。個人的な事情で中傷するといった具合に。だがそれは、自分が彼らに聞きたくない事を言っているがための反応で、自分自身ではなく、適応を迫らなければならない立場や行動に対してのものだ。攻撃する側も、個人的な怒りでそのような行動に出るわけではない。しかし孤独や絶望の中で、実際にそう思うのは難しい。実感させてくれるパートナーが必要だ。
 もし適応の最中にある問題の責任を、役割ではなく個人として問われている場合、何らかの戦略的な誤りがあった可能性が高い。

パートナーと聖域を持つ

 リーダーシップを発揮する上で、最も危険な行為は孤立する事だ。それを防ぐためには、絶対にパートナーが欠かせない。パートナーは協力者と相談者の異なるタイプを両方探して欲しい。
 協力者は自分とは別のグループに属していて、自分と同じ考え方をする人達だ。彼らはコミュニティ同志の複雑な利害関係の代表でもある。その声を聞くことは、バルコニーに上がる助けにもなる。しかし、いつも味方でいるとは限らない。彼らにも忠誠を尽くすコミュニティや人間関係があり、協力者が板挟みにならないようにも気をかける必要がある。そして彼らを全面的に信用すると、思わぬ不利益を被る場合がある。協力して問題に取り組んでいる最中は、信頼できる仲間のように感じるかもしれないが、問題の外側では相手の利益に反している、という関係もあり得るからだ。
 そこで仕事や組織とは無関係な相談役が必要となる。多くの場合は家族や友人が該当する。相談役は、あなたが果たそうとしている役割ではなく、あなた自身の心配をし、励まし、忠告してくれる。その人と一緒に過ごす時間はあなたの心を癒し、再び問題に立ち向かう力になる。但し、多くの人は相談役に話し過ぎて、失敗してしまう事を付け加えたい。仮に妻の妹を家に泊める事になったとしよう。例えその事を良く思わないとしても、その愚痴を妻に向かって言うような事はしてはいけない。その話はまた別の相談役にするようにする。
 それと自分自身に戻れる場所、聖域を確保しておく必要がある。それは人によって様々で、祈りや瞑想する場所や散歩する森の中、人によってはバーでスコッチの氷を眺めるのが癒しという人もいるだろうし、絵を描くのが癒しという人もいるだろうし、楽器を演奏するのが癒しという人もいるだろう。そこで自分を見つめ直し、また戦いの場へと戻って行くための英気を養う。

善を数値化してはならない
最後にハイフェッツ教授の講義から引用し、結びの言葉とする。

私達は数値化の世界に住んでいる。
君たちはケネディスクールで学び、ありとあらゆる種類の数値化のツールを学ぶだろう。
数値化のツールは便利なものである。
会社や国家、組織、学校や家庭でさえも予算なしで経営することは出来ない。
収入がこれだけで支出がこれだけという数値が無ければ経営は無理だ。
しかし数値化に慣れてしまうと、私たちは数値化が真実を表していると思うようになりがちだ。
しかし数値化できない真実はたくさんある。
この事はリーダーシップを実践する上で重要だ。
特に目標を達成できなかったという結果を突きつけられた時に重要になる。
達成したのが20パーセントだった事を知れば、まだ80パーセントも残っているという気持ちになる。
ここには平和をもたらす事が出来たけれど、まだ多くの場所で平和をもたらす事が出来なかったから意味が無いとか。
でも私は良い行い、善を数値化する事など出来ないと、信じている。
私達がいずれこの世を去る時、天使たちが迎えに来たとしよう。
天使は君をこう言って責めるだろうか。
なぜあなたが命を救ったのは27人で36人じゃないの。
なぜ読み書きを教えた子供たちは100人で、200人じゃないの。
なぜこっちの家族にだけきれいな水を届けて、あっちの家族には届けなかったの。
なぜ平和をもたらしたのは一つの地域だけで、三つの地域じゃないの。
いや、そんな事を聞く筈が無い。
一人の子供の目に光を灯す事が出来たのならば、君は数では表せない善を行った事になる。
私が生まれ育った文化には、こういう言い方がある。
一つの命を救う事は世界を救う事だ。
リーダーシップを実践する人が絶望に陥ってしまうケースの一つは、まだ達成できていない事ばかりを見てしまう時だ。
あるいは善は数値化できると思ってしまい、もっともっと数値を上げようと思ってしまうからだ。
あの人は小さな学校一つを指導しているのか、それとも何校もなのか。
あの人の会社の総資産は30億ドルか200億ドルなのか。
ありとあらゆるものが数値化され、数値が神話化し幻想が生まれる。
人間の存在価値でさえ、何らかの数値で表す事が出来ると信じるようになってしまう。
でもそれは絶望を生むだけだ。
なぜなら自分が達成したいと願う事を、全て達成する事は出来ないからだ。
一国の大統領を務めた人で誠実な人は、誰でも絶望した状態で職を辞す。
何故なら、成し遂げたかった事を成し遂げられなかったからだ。
リーダーシップの実践に必要なのは、人々に対して愛情を注ぐという行動の中に何とかして留まる能力で、ある意味自分の成果を喜ぶ事である。
どこかの場所で行った善い事を祝う事である。
あるいは一人の子供の瞳に明かりを灯した事。
誰かが立ち直れるように手を貸した事。
小さな善を行えた事を嬉しく思う事である。
君たちがこれから地域社会において、家族の中において、自分の住む町、村、国において人間性と正面から向き合い、最も困難な挑戦に立ち向かう際、どうか数では表せない善を行うことを喜びに思ってくれる事を祈る。
君たちに力あれ


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 この文章は次の方針に基くが、特にリーダーシップと権威の関係については、冗長になりすぎるので最小限に留めた。より詳細に知りたい場合は『リーダーシップとは何か!』を、リーダーシップの実践に伴う危険性について詳しく知りたい場合は『最前線のリーダーシップ』を参考にして欲しい。

1.NHKリーダーシップ白熱教室を中心に、リーダーシップとは何か!を出来る範囲内でカバーする
2.重要な点に絞り、簡潔であること
3.理解しやすいように構成を整える

参考資料
NHK リーダーシップ白熱教室 (2013)
ハイフェッツ,ロナルド (1998) 『リーダーシップとは何か!』 幸田シャーミン訳, 産能大学出版部.
ハイフェッツ,ロナルド・リンスキー,マーティン (2007) 『最前線のリーダーシップ』 竹中平蔵監修, ハーバード・MIT卒業生翻訳チーム訳, 産能大学出版部.
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