Setithy Sowis

適応のリーダーシップについて扱います

イスラエルのガザ地区侵攻を読む

 現在イスラエル政府と、ハマス政権下のパレスチナ政府間との間で戦争が継続中である。個人的な見方ではあるが、武力衝突へ向かう背景について考えたいと思う。

 世論ではイスラエルを非難する見方が強いようだが、それは正しい事か。私はそれに一部同意するが、イスラエルを非難するだけでは、事態がよい方へと向かう事は無いと考える。
 先ず、事実としてイスラエルはテロの脅威、死が隣り合わせになる恐怖を受け続けている。日本であれば、北朝鮮が日本海の、日本寄りの位置で核実験を繰り返すようなものだとしよう。直接の死者は出ないだろうが、そのような状況で冷静さを保てる人が、果たしてどれほど居るだろうか。それは妥当な比喩ではない? そうかもしれない。だが他人の感情は、推し量るしかないのも事実だ。そのことがイスラエルだけを避難すべきではない理由の一つだ。
 誰の犯行か、はっきりとは分からないが、イスラエルは攻撃を受けている。その事実は重要だ。しかし、本当に重要な事は、誰が攻撃しているのかが分からないという事実である。イスラエルはテロを防ぎたい。そのために防壁を設けた。ところが、それではガザ地区の経済は成り立たない。ハマスは地下のトンネルを利用し、ガザ地区の経済を支える事で、住民の支持を得ている。しかし、イスラエルはトンネルを利用した攻撃の被害を受けた。最低でも犯行を行った人物を特定し、動向を掴むか、さもなければ手段を断たなければ、また同じ被害を受けるだろう。これは戦争が始まったきっかけではあるが、既に解決している。だからこれは継続する理由にはなり得ない。
 しかし、考えておくのは大事な事だ。イスラエルへの攻撃は、ハマスの犯行だという説がある。それ以外にも過激派組織の犯行だという説もあり、十分信憑性を持っている。だが、そうだとしても、私はこの点についてはハマスに非があると思う。トンネルから利益を得ているのはハマスだ。従って管理責任もハマスが負うべきである。それに加え、パレスチナが一つの政府として、国家として成立する以上、国内の治安維持や、情勢の把握、犯罪者についての国際的な情報の共有は不可欠である。その点においてパレスチナは国家として十分な責任能力が無いと言わざるを得ない。当然、犯行がハマスによって行われたのであれば、論外である。
 だが、トンネルなどという非効率的な手段を強いたのはイスラエルである。イスラエルの若年層の間では、イデオロギーを主張する内容のデモ活動が広がりを見せているそうである。また、過去にイスラエルの首相が暗殺された事件がある。これは一連の流れの最も本質的な部分で、イスラエル人の価値観の一部だと私は考える。若年層の価値観は、その親の世代から引き継がれる。ではなぜそのような価値観が形成されるに至ったか。
 1949年、第二次世界大戦終戦から4年、今から65年前、第一次中東戦争が終結し、イスラエルが勝利した。イスラエルは戦争難民を追い出し、その難民や子孫はその後、現在のガザ地区へと至る事となる。当然、イスラエルの大半を占めるユダヤ人の行いは、国際社会で問題視され、結果として他国に住むユダヤ人が迫害される事となった。考えても見て欲しい、単にイスラエル人と同じ人種だというだけで迫害を受ける。それが正しい行いだろうか? 迫害されたユダヤ人は祖国を追われ、後に強いイデオロギーを持つようになるのは自然な事に思われる。だが肯定は出来ない。それが、今日にまで受け継がれ、今の惨状を招いた価値観の一部であり、見直すべき価値観だと、そう私は評価するからだ。
 そして同じ事が、また繰り返されようとしている。ユダヤ人と言う理由で迫害するのは間違いであり、原因はイスラエルの行いとユダヤ人を結び付ける事にある。この部分、この文章に限らずイスラエルと言う国、イスラエル人、ユダヤ人と言う部分に注目し、混同しないようにする。ただそれだけの事が、感情一つで困難になり、多数の死者を出す。私達は当事者となっても冷静でいられるだろうか。

 発端は複雑だが、今なお継戦中である理由は単純だ。イスラエル政府には砲撃を受け、反撃しないという選択肢は無い。国内からの強い圧力もある。さらに、イスラエル経済は貧困問題を抱えているようだ。経済封鎖を解くのは実際、難しいのかもしれない。
 一方で、パレスチナにとってはトンネルを破壊された以上、それに替わる経済流通ルートの確保は必須だ。ガザ地区に生きる人にとっては、命に関わる事である。パレスチナに与えられる選択肢は多くない。経済封鎖解除を要求しつつ継戦する。あるいは、戦争を終わらせ、即政権が変わればエジプト側の流通ルートが確保できるかもしれないが、奇跡に等しい。現実的に戦争を終わらせる事が出来るのはイスラエルだけだ。
 だが住宅街からロケット弾を発射し、犠牲者を増やしたのは、明らかにハマスの仕業である。人の盾を使ったロビー活動は許される事だろうか。それは私にも分からない。実際、国際社会の目を向けさせる事には成功しているからだ。イスラエルに圧力も掛かっている。最終的には、これが死者の最も少ない現実的なやり方だと分かるかもしれない。リーダーシップからは、そういう道も排除は出来ない。問題へ注目を集めさせる必要があるからだ。だが、行き過ぎれば、却って裏目に出る事を忘れてはならない。

 終わった後でなら、あの時あのように行動すべきでは無かったという事も言えるが、渦中に居る中で、結果を予想するのは困難である。もしかすると住宅街方面からの攻撃に対して、イスラエルが攻撃の手を多少緩めるという可能性があったのかもしれない。現在進行中の問題では、当事者の行動から、問題をどのように捉えていたか、自分なりに分析する事で、リーダーシップを評価する事が出来る。
 個人的には、より早い段階でイスラエルガザ地区の人々を受け容れる事を、ガザ地区の人々にイスラエル帰化する事を受け容れさせるという選択肢はなかったのかという点が気になるが、人々の適応を要する問題は、エボラ出血熱もそうだが、人々の注目を集め始めた時点で、既に手遅れな事もある。リーダーシップを発揮する上での難しさは、ここにもある。まだ表立って起こっていない事に理解を求め、実際の損失や、認識上の損失を受け容れて貰わなければならない。そのため、本当に大事に思う事でなければ無理だ。

 今回は、生活の保証というレベルで評価したが、より大きな枠組みでは、また別の見方がある。過去にイスラエルパレスチナが相容れなかったのは、宗教の違いに依る所も大きいのではないだろうか。宗教は、貧困で困窮する人々の支えになる。そういった意味では中東全体に広がる貧困が問題の背景にあるとも言える。

ロナルド・ハイフェッツ教授のリーダーシップ論 [2/2]

 

適応とリーダーシップの役割

 世界は過去現在未来へと、常に変化し続けている。その変化の先にある未来で成功するための、新たな可能性を受け容れる。それが適応するという事でもある。適応の大部分は歴史と折り合う事にある。過去から積み上げてきた文化の殆どは、失われず保たれるからだ。変革は文化に受け継がれるマイナスの一部分だけを捨て、歴史の最良の部分だけを未来へ持って行く。リーダーシップはそのために問題を提起し、データを示すことで、進むべき未来を見せる。そして、その過程における変化の枠組みや、プロセスを提供し、スムーズに移行できるよう支え続ける事である。
 リーダーシップの最終的な目的は、誰が何を学ぶ必要があるかという形で明確になる。それまでの道程では大勢の人の話を聞いてから、誰に話を持って行き、誰と信頼関係を結ぶか、障害は何か、何が必要になるのか、誰からどのような協力を得られるか、よく考えなければならない。

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ロナルド・ハイフェッツ教授のリーダーシップ論 [1/2]

 

 ロナルド・ハイフェッツ教授は、ハーバード大学ケネディスクールで30年に渡り、適応のリーダーシップについて教え続けて来た。そして今回ワークショップが公開され、NHKでリーダーシップ白熱教室として放送された。
 適応のリーダーシップの概要は、人々を問題と正面から向き合わせる。唯それだけだ。とは言え、最後まで読めば分かると思うが、これは困難な仕事である。
 私は、人が生きるのは、明日が今日より良くなる、今日の幸せがずっと続くと信じているからだと思っている。だがそれには、社会問題という乗り越えなくてはならない壁が存在する。世の中には、難しい事は偉い人に任せておいて、一般の人はただ文句を言っているだけでいいと言う人は大勢いる。しかしハイフェッツ教授は、そんな風には考えないし、私も同感だ。
 実際にリーダーシップを発揮しなくても構わない。適応のリーダーシップを理解する事は、自主的に問題と向き合う事に繋がり、それがより良い未来をつくる一つの方法だと、そう思う。

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